僕はこれを情熱と呼ぶ

東京から高知、東南アジアを旅して妻と娘を愛するデジタルマーケターの人生です

④東京から高知、東南アジアに至るまでの話〜青年養鶏家の藍色のランチョン日記と引越しの決意〜

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高知の山奥、三原村。

養鶏場のウッドテーブルで、2人の男は沈黙していた。

皮肉の余地がない青空と陽だまりが、

動物愛を振りまくこの男のニヤケ顔が、

ウッドテーブル上に行儀よく置かれた藍色のランチョンマットが、

僕には無性に腹立たしかった。

 

当時24歳の僕は、20歳上のベテランの男に、言い放った。

 

「F田さん、あなたが今しなければならないことは、僕たちの信用を取り戻すことです。

最後です、現場に出てください。最後に本気でやるなら、僕は付き合いましょう。」

 

「そうだな・・・お前の言う通りだよ・・・」

 

僕は、偉そうにこんなことを言える立場ではなかったが、言わずにはいられなかった。

今思うと、自分の夢を守るのに必死だったのかもしれない。

 

農業の業務提携とは、かくも難しいものなのか。

僕は、この養鶏場で過ごした楽しい日々をできるだけ思い出そうと、

iphoneのアルバムを開いた。

 

高知県の山奥、三原村の日々は驚きと感動がハプニング!!

  

www.narimasa-kasuya.com

 

なぜ僕が養鶏場に住み着くことになったのかは、前回の記事をご覧ください。

ひかりプロジェクトが養鶏事業を始めるにあたり、

業務提携先として選んだのは山奥で放し飼い「しゅりの里」というところでした。

高知市から車で西へ3時間半ぐらいぶっ飛ばして到着する魔境秘境です。

 

ここでは、毎日を生きるために生きていかねばなりません。

「私の人生ってなんなんだろう」とか青年期の甘い自己陶酔に浸ってる場合じゃない。 

 

まず、正午。

「久々に缶コーヒー飲みてえ〜!」と思い立ったが吉日。

車を20分走らせてようやく自販機が見えてくる。

日によっては、林業の筋骨隆々たる男たちとトラックに「帰れ」と言われる!

「いや、林業の仕事規模がすげーわ!!帰るよ!!」と言わざるを得ない。本当にすごい。Men of men!ペスカトーレ!!

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養鶏場には、夜の害獣対策のために犬と猫たちがいます。

物音ひとつしないあまりの暗闇の中では、彼らはものすごく心強い・・・

夜が怖すぎんだよ!!お遍路さんの魂とかありs・・・

 

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はい!そこの鋭い人!思った通り、一斉に出産しやがりました!!

可愛いけど、うるせえええ可愛いいいい誰かもらってくれええええ

この頃、僕のiPhoneは画像と動画で容量瞬殺です。

うう、離れるのさびしかったよ。。。。

 

引き取り手に子猫を泣く泣く引き渡して、

明日は友人が遊びにくると言うので、食材の調達に向かう。

 

まず、ほとんど棚に商品がない個人商店で、獣とどぶろくの匂いがするオッチャンを待ち伏せして声をかける。

*どぶろく=自家製違法酒。販売禁止。

 

僕「すみません、どぶろくと猪肉が欲しいんですけど、持ってませんか?」

 

おっちゃん「おお〜、持っちゅうよ!」

 

僕「あ、卵作ってるんですけど、食べませんか?

 

おっちゃん「おお〜、家来るか?

 

こうして僕は、無難にどぶろくと猪肉と大量のブロッコリーをゲットし、卵を渡して、

帰省中のおっちゃんの娘が残したメモを眺めて、談笑の後に別れた。

「変えちょって」って、なんか可愛いですよね。

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翌日、友人を迎えに行くと、帰り道のコンビニのベンチで若いお遍路さんが座っているじゃないですか。

 

僕は「お疲れ!君いくつ?肉まん食べる?」と、声をかける。

都会では完全に不審者

 

お遍路さん「いやあ、これから宿を探しに行くんですけど、この辺あります?」

 

僕と友人は、「この辺何もないよ!うちらの家に泊まりにきなよ!!」と初対面の人に言い出す。

 

若くてスラリとしたお遍路さん

「え、、、でも、、、」と言いながら、強引に僕たちに車に乗せられる

何しろ、通り道には灯も、人気も、家も、本当に何もないのだ。身を案じてのことだった。

 

「この村はどぶろくが有名だからね!飲んで行きなよ!」

*どぶろく=自家製違法酒。販売禁止。

*若いお遍路さんの年齢未確認。

*イノシシ肉もあった。

*若いお遍路さんの性別=男(右)

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大学中退して就職したボクサーのリュウセイくん、今はどこかの島でガイドさんをやっているのだろうか・・・そろそろ行かなきゃいけないな。彼に会いに。

 

他にも、嵐の中自転車で山奥まで僕に会いにきてくれたバカ者「Okamiくん」

BBT大学で勉強しながら旅してんだから、すごく羨ましい時代に生まれたよなあ。。。

jitensha-hoken.jp

 

さて、写真の真ん中の彼は、実は知る人ぞ知る必見のメディア「ありんど高知」の編集長。

名前は「しおちゃん」

もっと高知が好きになるWebメディア - もっと高知が好きになるWebメディア-ありんど高知-

 

彼とは、別日に養鶏場の近くにあると言われている伝説の柏島」にも行ってきました。(車で40分ちょい!)

心が荒んだ時、一人でよくこの海を眺めたものです。

 

「しおちゃん」の誕生日には、

三原村で獲れたイノシシの肉ケーキをプレゼントしました。

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休日は、養鶏場近くのハンバーガーショップでアベマリアを聴きながら過ごします。

ああ、、、生きてるって素晴らしい!!

 

だが、ハプニングだけでは東南アジアには行けないのです。

外部の人と話すたびに、「このままでいいのか」と一方、僕は思っていたのでした。

 

来訪があるたびに失われていく真実

 

意外にも、たくさんの来訪者がいました。

京都産業大学の学生たち

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菅元首相。

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雑誌ソトコトの取材記者。

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シェアビレッジの武田さん。

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そして僕の友人たち。

独白します。

僕は、自分の暮らしがいかに楽しいか、意義のあることかを話さねばなりませんでした。そうしないと、この山奥での暮らしにはとても耐えられなかったのです。

 

来客対応の時は、主に提携していた「しゅりの里」の代表が話していました。

 

「ここは何もない森林で、一から開墾したんだ。この家も自分で建てた。浄水装置も、南米で自分が編み出したんだ。自然養鶏っていうのはね・・・」

 

このようなことを話すと、みんな「おお〜!!」と感嘆するのです。

 

しかし、僕はその時最大のストレスを抱えていた。

人間の裏側を見るときに、言葉は役に立たないと痛感した。全てをぶち壊して、何もかも投げ出したくなったのです。

 

真実とは何だったのか。

 

4つ、養鶏の現場を訪れたときに見ることができないポイントを例として挙げましょう。

その鶏舎での死亡率、産卵率、利益率、整理整頓です。

・死んだ鶏の数はわからず、対策も特にない。

・産卵率が下がり続けているのに、配合飼料は変わらず給餌される。

・産卵率が下がって悪化した利益率を改善するための手段がどん詰まり(詳しくは裁判所でお調べください)。

・物が定位置になく、散乱している。

 

もちろん、僕もできていないことは多くあります。

しかし、改善しようと努力する姿勢はあります。だから気づくことはできる。

 

僕たちは、未来を創る仕事がしたかった。

でもここは、過去を見つめている行き止まりのような気がした。

 

いつも思うのですが、「生産者の顔が見える」写真って、なんの意味があるんでしょうか?

生産者の笑顔と言葉をみて、「ああ、この人は信頼できる、美味しいはずだ」なんてもう生涯思えない。

見るならその人の畑、現場、数字、そして取り組む姿勢を見たいし、見せたい。

言葉なんて、現場を見せなければどうとでもごまかせる。

本当に信用できるのは、学術論文書と現場だけだ。 

 

前回の記事でも述べた通り、素人が真実を知るには、鵜呑みではなく勉強が必要です。

③東京から高知、東南アジアに至るまでの話〜ズブの素人がなぜか高知の養鶏場で直面した謎と現実〜 - アジアのひかり 

言ってしまうと自分が被害を受けてしまう、鶏卵販売へのツッコミ - アジアのひかり

 

でも僕は、来訪者がくるたびに、真実を言うと愚痴になるのでは、と良いツラしてたんです。ごめんよ。

 

「あなたをもう一度信用するには、現場に出てほしい」と言った言葉は届かず、

「しゅりの里」は産卵率が悪化していく原因もつかめず、提携先である僕たちの生産と販売はどんどんおざなりになっていった。

僕は、自分の会社の鶏たちの生産を守りながら、養鶏技術を東南アジアに伝えるための研究にこもりきり、勝手に卵の営業もし始めた。

 

かくして、僕は提携先の養鶏農家に対して、距離感を持つようになっていった。

 

当時の僕がすがるものは、もう、夢と仲間しかなかった

 

自分で突き放したくせに、ほぼアウェーな環境に、さすがの僕も少し参っていた。

少し前から「しゅりの里」に追加派遣されてきた同僚がいなかったら、本当に参っていた。

 

同僚の彼は、素晴らしい夫になる可能性を秘めている。僕がボラをもらってくると、

「気持ちわり〜!ボラとか食わないからね普通!」とか言いながら刺身をつまみ食いし、

「やばい美味すぎるわ。俺が間違ってた。え!?カラスミ作れんの!?ごめん、ボラ。」と訂正する素直なやつです。(笑)

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同僚は身体を使うのが得意で作業も速く、

僕は養鶏技術をロジカルに探求していくという役割分担ができてきた。

世界中で役立つ畜産技術は、僕たち自身で習得せねばならない」と思い始めていた頃で、文献解読に集中するのに本当に助けられた。

また同い年ですが、僕の方がわずかに7ヶ月社会人として経験者で、この時いつも思うことがありました。

 

「こやつの最初のキャリアを、この養鶏場から始めちゃだめだ。」

 

生意気にも僕はそう思い、前職で鬼のように仕事をしていた上司の言葉や見習うべき考え方を毎日伝えていました。

同僚がおらず、僕一人だったら潰れていたでしょう。役割分担ができて、唯一、現場の表と裏を知り尽くし本音で話せる相手でもありました。

 

四万十町(ニラの生産現場)での売上にも助けられていました。

僕には、養鶏をいきなり黒字化するのは無理だった。まあ、色々理由もあったけど(裁判所に聞いてくれ)、特にそれを詰めずに会社の仲間が支えてくれていた。

 

現場を移す決断

 

日増しますます撤退するべきだと強く思うようになりながら、

しかし、僕らだけで本当に生産できんのか?

現場を移すとしても、やはりプロを入れた方がいいんじゃなかろうか・・・?

と自問自答をする日々。

 

そんなある日、ついに社長が決断した。

今思い出しても、会社史上で最大のリスクテイクだったんじゃないかと思う。。。

僕がここまでやってこれたのも、自分にリスクを賭けてくれる大人たちがいたことがとても大きかった。 

 

 

「粕谷くん、現場の場所を四万十町(ニラ生産現場)に移すき。うちらだけでも絶対やれる。今の現場は撤退しよう。」

 

 

うちらだけでやる。

まだか。まだチャンスがあるのか。まだやれるのか。

 

僕たちは、次にやるべきことを思い浮かべた。

四万十町で土地を探して、近隣住民に養鶏の許可を得て、水や電気を用意して、鶏舎を建築して、初期投資はどうする、いつ回収できるか、飼料配合倉庫も整えなければ、、、あ、役場にも根回しせにゃ、

うああ、やることめっちゃある。教えてくれる人はもういない。

どれもどうすればいいのかまるでわからん!!

 

 

でも、僕は待ちわびたように答えた。

 

 

「やってやりましょう。」

 

 

こうして、藍色のランチョンとともに、僕らは現場を引っ越すことになった。

 

次回は、「畜産の新規参入はもはや日本では不可能に近い!!」

をお送りします。