第一希望で新卒入社した会社を退職して、転職活動を一切しなかった理由
2014年4月、第一希望で内定をもらった会社を同年の11月に退職しました。
詳細は過去記事
それ以来、一切転職活動をしませんでしたが、自分の想像を軽く超えた面白い仕事人生を歩ませてもらってます。
現在は東京でフリーランスをしておりますが、今も仕事がなくなる不安はありません。理由は、高知県での体験があるから。普通の会社員をやっていたら、僕は無能な凡人になっていたのでしょう。今は、ちょっと変な凡人です。
しかし、僕は僕のバックグラウンドを面白いと感じ、それをこうやって発信することができます。それは、その場面で助けてくれた人たちと助言、つながった人たちが財産だからです。もう本当、周りの人たちには感謝です。誠に謝りたく感じています。
やりたいこと、やりたくないことに打ち込んだ20代前半
大学時代、僕は深く共感したNPO法人のファンドレイジングに関わっていました。マレーシアに子供の家(詳細は過去記事)を建築するための390万円を日本で集める。
僕はもう、自分がやりたいと思っていることに対してフル活動でした。集客、広報、スピーチ内容、その他の企画など。もちろん、社会人の方々から、頼もしい背中と叱咤激励を受けながら、能力のない自分をもってして、足掻きまくっていました。
マレーシアで「この子供達が未来を選べる居場所を作りたい」という衝動をそのままに、すぐ行動できるプロジェクトがあったこと。
そして、そのプロジェクトは、社会や自身をより良くするものであった事。
この2つの幸運が、全ての始まりでした。
自分への投資は、次々とチャンスを呼ぶ
NPOの資金集めプロジェクトをしている中で、もっと色んな世界を見てみたいと思い、誰なのかは忘れましたが、大学の留学相談所を紹介されました。そこで紹介されたのが
世界青年の船でした。
この事業で、僕はマレーシアの農業による自立経営型の福祉モデルを23カ国の青年に対してプレゼンしていたのです。もちろん資料もスピーチも全てが英語です。僕は、一つでも誤解されてはならない、と、代表理事と何度も内容確認をしながら、外国人講師を捕まえては「僕のプレゼンを聞いてくれ!!」と何回も繰り返しスピーチしました(よく応じてくれました本当に)。
結果としては、ちゃんと伝わってくれたようで、その時の動きを見てくれて声をかけてくれたのが三味線奏者の花枝さんだったのです!(誰?という人は過去記事へ)
そんな経験を話していたら第一希望の会社にまんまと内定をいただき、入社することになりました。しかし、今度は全然やりたくない苦手なことに熱中して打ち込んで、うつ病になる寸前で退職しました。
さてさて、なぜとんでもない怠け者の僕にこんなに色んなチャンスが巡ってくるのか。
まず、前提として
自己を掴んでいたから
僕は大学時代はやりたいこと、新入社員でやりたくないことの両方に打ち込んできました。正直、最初はなんだっていいんだと思います。
その中で出会ったたくさんの人たちがたくさんの気づきや言葉をくれ、結果は自己の向き不向きを、そして何より、全てのプロセスが「自分が何を面白く感じているのか」を教えてくれます。僕が自分のテーマをハッキリと面白く感じ始めたのもこの頃でした。他人の言動や、物事、そして自省を繰り返す中で、自分の感情や思考が、どんどん広がって、明らかになっていく感覚。さあ!僕の大言壮語がくるぞ!
同世代までのみなさん!!
当たり前ですが、自分が今何を感じているのかを大切にしましょう!
簡単な言語でもいいので。実は、常識や現実の「すべき思考」でごまかしてしまって、意外にできないということに気付くと思います。世界青年の船で知ったコーチング、話を引き出してくれるメンター、NPOのストーリーテリングを共有する文化。
僕は幸運な事に、自分の感情や思考を環境が言葉にしてくれました。
自己を強く確かめる瞬間は、自分を高める投資と逆境の中にしかありません。そして、その自己を掴んでいると、次のチャンスは、求める限り途切れる事なく見つかるはずです。
どうしてなのか。
ゆるい繋がりが繋がりを呼びまくる
過去記事でも書きました。
退職後に何気なしに来た高知県で、世界青年の船で声をかけてくれた花枝さんの主催イベントがきっかけで転職が終わりました。
僕はというと、パントマイムの基礎を体得し、カポエイラのかっこよさに唸っていただけです。と言いたいところですが、一つだけしていた事があるのです。
それは、自分の目的を語り続ける事です。
僕は、ずっと「東南アジアの農村部の子供たちのような、選択肢のない未来を創りたくない。そんなビジネスがしたい。」と言い続けていました。
すると、イベントのスタッフ仲間から声がかかるのです。
「会わせたい人がいる」
未だに、何を思ってそうおっしゃってくださったのかわかりません(笑)
でも、最初の出会いなんてそんなものではないでしょうか。そして、いつだってそういう出会いは、自分の仲良しグループの内輪からは生まれません。
年齢、出自、仕事、趣味、経験、それら自分との共通点がおよそ少ないゆるい繋がりから生まれるのです。
普段会えない人たちと出会うチャンスがあったら、絶対に飛び込んだ方がいいです。
そして、あなたがその時感じている目的を、簡単でもいいので、語ってください。
多様なバックグラウンドは、自分の想像をはるかに超える道筋を示してくれます。社会は広すぎてとても一人で把握できたもんじゃあ、ありません。
何かが繋がるはずです。後はやってみるだけなんです。
周りの人に生かされている感覚
高知県で働いていた会社は、完全にミッションありきの会社でした。
「日本の田舎から、世界で戦える人を創る仕組みを広げていく」
そのための手段として、循環型農業に着手している、と行った経緯です。だから、職業に関わらず色んな方々が訪れてくれます。
だから、僕は入社しました。自分が農業をやるとは、話を聞くまで、全く1mも考えていなかったのです。
でも、目的があったから、次のフィールドが見えるから、そして何より、
周りの人たちがこんな自分を切り捨てずに能力を引き出すチャンスを与え続けてくれたから。
「農業がしたい!」「商社マンになりたい!」「弁護士になる!」という夢を聞きます。もちろん応援はします。そして思います。「じゃあそれが上手くいかなかった時、どうするの?」マイナス思考ではありません。それは手段の話であって、本当に見つめるべきあなたの自己は何なのかを思います。
今、僕は高知県で働いていた時の繋がりから、東京に戻ってもなお色々なチャンスをもらいます。
「うちの会社にきなよ」
「こんな仕事があるよ」
「会わせたい人がいる」
それはもう本当に、嬉しい言葉をもらいます。
しかしこれから自分がどんな仕事人生になるのか、未だにわからず(笑)。
そんなプロセスの不確実性がどうしようもなく面白くて、苦しいけど感動があって、ついぞ僕はフリーランスになる事を決めたのでした。
転職活動をしなかった理由は簡単でした。
自分の夢をわかっていて、ゆるい繋がりを大事にしていたからなのです。
この記事を書いている理由は、この面白さを感じてくれる人が増えてくれるといいなあ、と思うから。
人は、自分がされたように他者と接するでしょう。
自分が周りに生かされてきた感謝を、後の社会へ残してくれたらきっと素晴らしい世界になるでしょう。僕もその一員になりたいものです。
話が長すぎるので、ここで強制終了します。
読んでくださってありがとうございました。
p.s.だいたい言いたいことを言ってくれてるメグ・ジェイ様のスピーチです。学生の時に聞いた時とはまた違った感覚でした。